昭和57年7月豪雨

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昭和57年7月豪雨(しょうわ57ねん7がつごうう)とは、1982年昭和57年)7月23日から25日にかけて、長崎県を中心に発生した豪雨災害のことである[1]。一般的には「長崎豪雨」「長崎大水害」として知られる。

概要[編集]

7月10日から20日にかけては、ほぼ毎日西日本の所々で日降水量が100mmを超える大雨となった。16日広島で223.0mm、20日は長崎で243.0mmの日降水量を観測し、九州の山間部では、10日から20日にかけての降水量が1,000mmを超えた所もあった[2]

23日から25日にかけては低気圧が相次いで西日本を通過し、梅雨前線の活動が活発となった。特に長崎県では23日夜に1時間に100mmを超える猛烈な雨が続いた。長崎では3時間に313.0mm、日降水量448.0mmの豪雨となり、長崎市内を中心に土石流やがけ崩れにより、300名の死者が出るなど大きな災害が発生した[2]

24日熊本で日降水量394.5mmを観測するなど、島原半島や熊本県北部を中心に大雨となり、25日は九州南部や紀伊半島南部で100~300mmの大雨となった[2]

気象庁は、7月23日から25日の大雨を「昭和57年7月豪雨」と命名した[2]。一方、特に甚大な被害を受けた長崎県は、この豪雨災害を「7.23長崎大水害」と命名した[3]

被害[編集]

人的被害[編集]

  • 死者・行方不明者 299人
  • 重傷者 16人
  • 軽傷者 789人

住家被害[編集]

  • 全壊 584棟
  • 半壊 954棟
  • 床上浸水 17,909棟
  • 床下浸水 19,197棟 [4]

出典[編集]

外部リンク[編集]