金方慶

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

金 方慶(きん ほうけい、キム・バンギョン、康宗元年(1212年) - 忠烈王26年(1300年))は、朝鮮半島を支配した高麗王朝の後期の武将元寇軍に協力して高麗軍を率いて参加したことで知られる。

生涯[編集]

元宗の時代から高麗に仕えていた。当時、高麗には元王朝の支配に反対して抵抗する三別抄が存在したが、金方慶は元の皇帝であるフビライ・ハーンの命令を受けてこれを討伐することになり、同じく高麗人である洪茶丘と共に済州島を攻めて1273年4月に陥落させ、三別抄の首領格であった金通精らを全滅に追い込んだ。1274年文永の役が始まると高麗軍の総司令官として日本に渡海する。しかし元の武将で裏切り者とみなしていた洪茶丘と徹底して対立し、これが元軍の指揮が乱れる一因を成したという。また金方慶は元寇では常に決戦思考だったが、これは長期化することで高麗にさらなる負担がかかることを案じてのこととされている。

しかしフビライは洪茶丘を信任していたため、1277年に洪茶丘による讒言で謀反の嫌疑を受けて召還されて洪茶丘による厳しい拷問を受けたとされる。しかし高麗王・忠烈王は金を信任しており、懸命にフビライに対して無罪を直訴したことによりつみは許されたが、その代償として弘安の役にも渡海を命じられて高麗軍の総司令官として戦うことになった。

1300年に死去した。享年89。

金方慶が登場する関連作品[編集]

テレビアニメ
小説