重野安正
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重野 安正(しげの やすまさ、昭和16年(1941年)12月1日 - 令和3年(2021年)4月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、大分県議会議員(7期)、社会民主党幹事長(第6代)、同国会対策委員長(第6代)を歴任。
経歴[編集]
大分県出身。既婚者で長男あり。
大分県職員を経て、昭和50年(1975年)から大分県議を7期務めた。
村山富市元首相を党の県代表として支え、社会党から社民党への党名変更や民主党との連立政権からの離脱など激動期の党務を担ったことで知られる。
平成12年(2000年)の第42回衆議院議員総選挙に大分2区から立候補し、衛藤征士郎に敗れるも、比例代表で復活当選して、以後3期務めた。社民党において国対委員長や幹事長などの要職を歴任した。病気により引退し、以後は闘病生活を送っていた。
令和3年(2021年)4月9日午前4時35分、心筋梗塞のため大分県大分市の病院で死去した。79歳没。