鄭泉
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鄭 泉(てい せん、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の武将。字は文淵(ぶんえん)[1]。
生涯[編集]
豫洲陳郡の出身[1]。弁舌に優れ、酒好きだったという。222年の夷陵の戦いの後、呉の外交官として白帝城に滞在していた劉備の下へ使者として趣き、蜀との国交回復を果たそうとしたが、その際に劉備の非を堂々と責め立てる豪胆さを見せている[1]。酒好きだったため孫権からも寵愛され、常に「大きな船に酒を満たし、その中に漬かりながら暮らしたい」とうそぶいたと伝わる[1]。また孫権を時には諫め、孫権が「私が怖くないのか」という質問に対して「主人は仁愛に優れているのでこの程度では怒らないでしょう」と答えて孫権を喜ばせたという[1]。
死去する際、「私が死んだら陶器職人の傍に埋めてくれ。そして土に還った後にその土で酒壺を作ってほしい」と遺言したという[1]。