鄒 丹(すう たん、? - 194年)は、中国の後漢末期の武将。公孫瓚の家臣で幽州漁陽郡太守[1]。
公孫瓚配下の漁陽郡太守で、193年に公孫瓚が劉虞を殺害すると鮮于輔・鮮于銀・賀斉・閻柔らによる復仇戦が開始され、鄒丹は彼ら数万の軍勢に潞北で敗れて斬られた[1]。
この際に鄒丹以下4000人の首が獲られたという(『後漢書』)。
『三国志演義』には登場しない。