郭援
ナビゲーションに移動
検索に移動
郭 援(かく えん、? - 202年)は、中国の後漢末期の武将。叔父は鍾繇。従兄弟は鍾毓・鍾劭・鍾会。
生涯[編集]
鍾繇の姉の子[1]。202年に袁尚が匈奴の呼廚泉と通じて平陽で反乱を起こさせた際、当時の司隷校尉であった鍾繇が呼廚泉を討伐する[1]。ところが鍾繇の甥である郭援は高幹と共に呼廚泉を救援する[1]。さらにこの反乱に馬騰が協力しようとしたが、張既の説得を受けて翻意し、馬超と龐悳に1万の兵を与えて鍾繇を助けた[1]。郭援は叔父との戦いの中で龐悳により討ち取られた[1]。龐悳が郭援の首級を持って鍾繇の下に訪れると鍾繇は泣き、龐悳は謝罪したが、「国賊だから謝る必要はない」と返答したという[1]。
『三国志演義』には登場しない。