那須七党
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那須七党(なすしちとう/なすななとう)とは、戦国時代まで存在した下野国における豪族の連合集団である。那須七騎(なすしちき/なすななき)とも言われる。
概要[編集]
下野国の北部にある那須郡を中心にして、7つの豪族が互いに連合集団となって独立を維持していた。この7氏で争いが起きたこともあるが、近隣の常陸国の佐竹氏、同じ下野国の宇都宮氏、陸奥国の蘆名氏などと争っていた。
この7氏の中では那須氏の勢力が一番強大であり、そのため那須氏が盟主の立場にあった。
だが、天正18年(1590年)の小田原征伐で那須氏は豊臣秀吉より小田原城攻めに参陣しなかったことを咎められて改易された。これにより那須七党も解体となり、江戸時代を大名として生き抜けたのは、大関氏(大関藩)と大田原氏(大田原藩)のみであった(那須氏は大田原氏の助力で一時的に再興したが、後継者問題などで江戸時代中期に改易されている)。