赤旗事件

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赤旗事件(あかはたじけん/せっきじけん)とは、明治41年(1908年6月22日に発生した日本社会主義運動に対する日本政府の弾圧事件である。発生した場所から錦輝館事件ともいう。

概要[編集]

当時、日本社会党が成立するなど、社会主義運動の盛り上がりが日本政府に警戒感を抱かせていた。

そんな中で東京・神田の錦輝館で開かれた山口義三筆禍事件で入獄していた)の出獄歓迎会の閉会前に、大杉栄無政府主義の青年グループが革命歌を歌いつつ会場外へデモ行進を始め、さらに革命歌を歌いながら荒畑寒村らが用意した「無政府共産」「無政府」と白文字を縫いつけた赤旗を振りまわしたので、警戒中の警官隊が襲いかかり乱闘の末、大杉や荒畑、堺利彦山川均ら13名を逮捕した。

その後、逮捕された面々は検挙され、2人は即時釈放されたものの、大半は入獄となった。元老として明治政府を牛耳る山縣有朋は、前年の社会党大会の一件などから、これら社会主義勢力の拡大は西園寺公望の穏健政策が原因であると考え、この事件を理由にして7月第1次西園寺公望内閣を総辞職に追い込んだ。後継内閣を組閣したのは山縣の強い影響を受ける陸軍桂太郎第2次桂太郎内閣)であり、桂は西園寺と異なって社会主義勢力の取り締まり、弾圧を強化した。

この事件の判決は8月29日に下され、東京控訴院は検挙者のうち10人に重禁錮2年半以下の実刑判決を下した。そしてこれが契機となり直接行動派内にテロリズムの傾向を生み、大逆事件の遠因をなしたと見られている。ただ、この事件が逆に幸いして、堺利彦などは大逆事件に巻き込まれることがなく生き延びることができている。

外部リンク[編集]