西山荘
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西山荘(せいざんそう)とは、茨城県常陸太田市新宿町590に存在する水戸黄門の晩年の居所である。西山御殿(せいざんごてん)とも言われている。
概要[編集]
水戸黄門で有名な水戸藩の第2代藩主・徳川光圀が養子の徳川綱條に家督を譲って隠居した後、元禄4年(1691年)から死去する73歳までの晩年を過ごした居所である。なお、有名な『大日本史』の編纂はこの西山荘で行なわれた。
建坪はおよそ132平方メートルで茅葺き屋根の平屋で、間数は9室、玄関口は昼は下から棒で支え、夜は扉になるという竹を編んだ突上門である。入口は一間の六畳敷で、壁は荒壁のままで柱は丸太で組まれているなど華美なところが全くなく、徳川御三家の元藩主が過ごした場所とは思えないほど質素である。『大日本史』を編纂した書斎は直径1メートルほどの丸窓が斬られた粗末な造りの3畳間で、その奥の6畳間が御座の間と呼ばれる寝室であった。
建物も質素だが、それ以上に御座の間と次の間に敷居は設けられておらず、光圀は百姓や町人の区別無く晩年は話を聞いていたといわれている。庭前の池は心学の池といわれて表の紅葉池に続いている。池の形は西山荘から見ると「心」という字と逆に見え「書き文字と人の心は裏から見よ」という訓えが籠められているとされている。
光圀時代に建てられた西山荘は残念ながら文化14年(1817年)に火災によりほとんどが焼失した。2年後の文政2年(1819年)、第8代水戸藩主・徳川斉脩が厳しい藩財政の中で規模を縮小して再建した。現在は茨城県の史跡に指定されている。
アクセス[編集]
外部リンク[編集]
- 西山荘(公益財団法人徳川ミュージアム)