藤原良相
ナビゲーションに移動
検索に移動
藤原 良相(ふじわら の よしみ/よしあう/よしすけ、弘仁4年(813年) - 貞観9年10月10日(867年11月9日))は、平安時代初期から前期にかけての公卿。藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の五男。官位は正二位・右大臣、贈正一位。西三条大臣と号す。文徳天皇の外叔父。
経歴[編集]
父は藤原冬嗣。兄は藤原良房。姉に文徳天皇の母となった藤原順子がいる。兄の良房は皇族以外で初めて摂政となり、姉の順子が天皇の生母になるなど、当時の藤原氏はまさに全盛期で、そのため良相も天安元年(857年)に右大臣に就任した。
『日本三代実録』によると、良相は度量が広くて文学を愛し、学識が豊かだったと評されている。歴史書である『続日本後記』の編纂を手掛けたほか、福祉施設である延命院や崇親院などの施設を設立したり、藤原氏一族の貧窮者の救済などを務めている。
貞観8年(866年)に清和天皇が良相の屋敷に花見に訪れた際には、文人を集めて詩を詠ませたとの記録もある。貞観9年(867年)10月10日に55歳で死去した。
外部リンク[編集]
- 平安京右京三条一坊六町「西三条第(藤原良相邸)」出土品 『文化遺産オンライン』