蒲生氏郷の墓
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蒲生氏郷の墓(がもううじさとのはか)とは、福島県会津若松市栄町2-12の興徳寺内にある戦国武将・蒲生氏郷の墓である。
概要[編集]
会津若松市民会館の近くにある興徳寺の境内にある五輪塔が氏郷の墓である。この五輪塔には「空」・「風」・「火」・「水」・「地」と刻まれており、裏には「文禄四年乙未二月(以下略)」の銘が刻まれており、氏郷の遺髪が埋葬されたものであると伝えられている(氏郷の遺骨は京都の昌林寺にある)。
氏郷は織田信長・豊臣秀吉に仕えた名将で、信長からは次女・冬姫の婿に選ばれ、秀吉からは会津若松に91万9300石の大領を与えられたほどの武将である。氏郷の会津の治世はわずか3年ほどであるが、その間に会津若松城の改修や城下町の増設、さらに産業の奨励など多くの治績を挙げて現在に残る会津若松市の基礎を築き上げたことで知られるが、文禄4年(1595年)にその実力を恐れた秀吉や石田三成らによって毒殺されたとも言われている悲運の武将である。五輪塔の傍には氏郷の辞世といわれる「限りあれば、吹かねど花は散るものを、心短き春の山風」という歌碑が建立されている。また、興徳寺には氏郷の木造が安置されている。