葉山五郎右衛門
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葉山 五郎右衛門(はやま ごろうえもん、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣[1]。
略歴[編集]
父は葉山安之丞。父は吉良親実に仕えていたが、天正16年(1588年)に主家の家督相続問題に関与したことから、長宗我部元親の命令で親実は自害を余儀なくされ、安之丞は親実を介錯した後に殉死した。家督を継いだ五郎右衛門は、元親に仕えて朝鮮出兵で戦功を挙げたが、その裏では父を死なせることになった元親を恨んでいた[1]。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで長宗我部家が改易され、山内一豊が新たな国主として土佐国に入国した際に五郎右衛門は捕縛されたが、かつての吉良氏の遺臣の子であり、自らは元親や盛親を恨み、関ヶ原にも参戦していないことなどを述べて弁明したことから、一豊は許して家臣に加え、安芸郡安田浦の監察を命じたという[1]。