華融

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華 融(か ゆう、? - 256年)は、中国三国時代武将[1]。子に華諝華譚徳蕤(とくずい)[1]

生涯[編集]

広陵郡江都県の出身[1]。呉の孫亮に仕えて侍中左将軍に任命される[1]。256年に呂拠滕胤らの反乱が起こると孫綝の命令で丁晏と共に滕胤への使者として派遣されて詰問するが、華融は丁晏と共に滕胤に捕縛され、孫綝が滕胤を討伐するために大軍を送り込んでくると滕胤によって丁晏と共に殺された[2]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、54頁
  2. 小出『三国志武将事典』P328

参考文献[編集]