荒木 越中守(あらき えっちゅうのかみ、? - 天正9年3月6日(1581年4月9日))は、戦国時代の武将。荒木村重の一族で家臣[1]。
天正6年(1578年)に村重が織田信長に対して謀反を起こした際に従い、妻はそのために天正7年(1579年)12月に信長の命令で処刑されている(『信長公記』)。越中守は妻を捨てて有岡城から逃げて生き延び[1]、『高野山過去帳』によると天正9年(1581年)3月6日、妻の処刑からわずか1年4ヵ月後に死去している。