船頭多くして船山に上る
船頭多くして船山に上る(せんどうおおくしてふねやまにのぼる)とは、一つの組織に複数の指導者がいたとき、指導者によって指示が異なり、結果その組織が八方ふさがりで立ちゆかなくなることである。
概要[編集]
船頭を多くする事によって山を超える事も可能にした、新型の艦船の事である、と考える人も居る。そのうち宇宙まで航行可能になる…かもしれないと予想する人も居る。
もしや宇宙戦艦ヤマトなどの建造には欠かせない技術なのでは?などと一部の機関では提唱されているようであるが、その具体的な機構・構造といった詳細は不明で、ただ「船頭が多い」という一言に集約されている、と考える人も居る。未来の技術と言ってもいいかもしれない、と考える人も居る。
予想される技術[編集]
- 水の浮力に頼らない揚力が必要とされるため、たぶん「反重力」を発生させるシステムが搭載されているのでは?と考える人も居る。
- もしやこの世界の創造神にお願いして、一部のオブジェクトに掛かる重力加速度のパラメータをマイナスの値に変更してもらっているとか?そんな事されるとその証拠を捉えるにはずっと加速度計でログを取得し続ける必要があるが、そのセンサー部分には影響は出さない、くらいはこの世界の創造神なら余裕そうなので、人間には捉えられないと思う。自白してくれたら分かるけど[2]。などと考える人も居る。
船頭多くして船山に上る理由[編集]
たぶん単語の意味の定義が各個人間で厳密に一致していないとか、言語化が不十分で誤解が生じて微妙に話が噛み合わないとかじゃないかなぁ。CPUのコア数多くしてもきちんと制御できていれば統一感のある仕事できるし…。と考える人も居る。
実際に船が山を登った例[編集]
1453年、オスマン帝国がビザンツ帝国の最後の領土であるコンスタンチノープルを攻略した際、湾口に鎖を張って軍艦が入れないようにしたビザンツ帝国側の守備の裏をかき、山に枕木を敷き詰めて牛脂を塗り、軍艦を牛に牽かせて山越えをした。これによってコンスタンチノープル攻略が可能になった。
このほかにもコンスタンチノープルの砦を破壊する巨大な大砲を製作した。これを作ったキリスト教徒のハンガリー人は最初にビザンツ帝国に大砲を売り込もうとしたが追い返され、次にオスマン帝国に売り込もうとしたが、ここでも一笑にふされたが、責任をとらされて首を刎ねられるのではないかと恐れた官僚の一人が念のためにスルタンの耳に入れておこうとその旨伝えると、スルタンはこのハンガリー人を招き入れ、ビザンツ帝国側の倍の報酬を約束して大砲の製作を行わせた。
脚注[編集]
- ↑ jawp:コンスタンティノープルの陥落
- ↑ 出エジプト記では、紅海に侵入したエジプト軍の戦車(チャリオット)の動作に介入し、混乱を引き起こしたらしい。出エジプト記(口語訳)14章23節から25節