船田経政

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船田 経政(ふなだ つねまさ、生没年不詳)は、南北朝時代武将新田義貞家臣。受領名は長門守。諱に関しては経匡、経昌ともいわれている。

生涯[編集]

父は新田氏の一族である大島義昌でその3男と言われているが、新田義貞の執事を務めた船田義昌の子あるいは弟で養子とする説もある。武蔵国舟田を所領とした。

経政の活動が確認されるのは義昌の没後からであり、建武3年/延元元年(1336年)6月、新田義貞が足利尊氏比叡山で戦った際、比叡山を堅守する新田軍は攻めて来る足利軍を相手に善戦し、その中で経政は足利軍の大将である高師重を生け捕る功績を立てた(『太平記』巻第17)。ただし、これは師重ではなく高師久のことと言われている。

その後も新田義貞と行動を共にしているが、延元3年/建武5年(1338年)5月に義貞の命令で越前国守護斯波高経が守る足羽城攻めに際して、安居渡の渡河戦に敗れて退却したのを最後に、史料上でその活動は確認できなくなっている。

参考文献[編集]