日本共産党臨時中央指導部
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日本共産党臨時中央指導部(にほんきょうさんとうりんじちゅうおうしどうぶ)は、日本共産党の所感派が全中央委員の公職追放後に指名した暫定的な中央指導部。
臨時中央指導部員[編集]
- 第一次臨時中央指導部(1950年6月7日):椎野悦朗(議長)、輪田一造、杉本文雄、多田留治(8月7日に党内分派として除名)、鈴木市蔵、聴濤克巳(即日「アカハタ」編集関係者として公職追放)、河田賢治、谷口善太郎(6月28日の新聞記者会見の談話内容を理由に公職追放)[1]
- 第二次臨時中央指導部(1951年10月22日):小松雄一郎(議長)、塚田大願、梶田茂穂、内野竹千代
- 第三次臨時中央指導部(1953年12月末):田中松次郎(責任者)、塚田大願、梶田茂穂、内野竹千代、岩間正男、風早八十二
- 第四次臨時中央指導部(1954年4月):春日正一(議長)、松本三益、塚田大願、梶田茂穂、内野竹千代、岩間正男、風早八十二
- 第五次臨時中央指導部(1955年3月15日):春日正一(議長)、志賀義雄(国際派)、宮本顕治(国際派)、米原昶(中間派)[2]
脚注[編集]
- ↑ 法政大学大原社研 臨時中央指導部の設置と全国代表者会議〔日本労働年鑑 第24集 725〕
- ↑ 水島毅『人物戦後日本共産党史――闇のなかの人間模樣』全貌社、1968年、227頁