胡 済(こ せい、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の武将。字は偉度(いど)。弟は胡博。
荊州義陽郡の出身。
当初は諸葛亮の主簿を務め、234年の諸葛亮の死後は中典軍として諸軍を統率する。最終的には右驃騎将軍・兗州刺史にまで昇進した。
256年に姜維の北伐に参加した際、姜維が鄧艾率いる魏軍に敗れた際に上邽で合流することができなかったという。
『三国志演義』では行参軍昭武中郎将として諸葛亮の最初の北伐から従軍している。姜維の北伐にも参加しており、蜀の滅亡の際には漢寿城を守備していたが鍾会率いる魏軍に猛攻されて支えきれないと見て、成都に援軍を要請している。