織田有楽斎
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織田有楽斎/長益 おだ うらくさい/ながます | |||||||||||||||||||||
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織田有楽斎(おだ うらくさい、1547年 - 1621年12月13日)は、室町時代から江戸時代にかけての武将、茶人である。織田信長の弟。
概要[編集]
1547年尾張国で出生。兄・信長に仕えかなり武将らしい業績を残す。大草城という城を建てたが、未完のまま終わったと言う逸話もある。
本能寺の変後は豊臣秀吉に仕える。関ヶ原の戦いでは東軍につき本多忠勝の陣に近い所に陣を置いた。のち徳川家康と結びながら豊臣秀頼の補佐にあたる。
大坂夏の陣の前に大坂城を退去、その後6年程京都建仁寺に隠棲して茶の湯に親しむ。千利休が亡くなった後にわび茶を再興させ、安土の茶の湯ブームを締めた人物である。
1621年、死去。享年74。
その他[編集]
東京丸の内の地名で、同名の駅もある「有楽町」は、織田有楽斎に由来する。