紀霊
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紀 霊(き れい、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。袁術の家臣、将軍。
生涯[編集]
袁術配下の将軍で、196年に袁術の命令で3万の軍を率いて徐州の劉備を攻めた[1]。劉備は呂布に援軍を求め、呂布は求めに応じて出陣するが、呂布はここで紀霊を食事に招いて和睦の仲裁を行ない、陣営の門の中に1本の戟を掲げさせて戟の小枝に矢を射るから一発で命中したら両軍は和睦して引き揚げ、命中しなかったら戦えばよいという条件を出した[1]。呂布は一発で命中させ、紀霊は呂布の仲裁に従って翌日も宴会を催した上で引き揚げた[1]。この話は『三国志演義』にもそのまま採用されている名場面のひとつである。以後の紀霊の行方は不明である[1]。
『三国志演義』では山東の出身とされ、重さ50斤(約11キロ)の三尖刀の使い手として第14回から登場する。袁術軍の武将でも最高の武勇を誇り、劉備との戦いで関羽相手に互角の勝負を演じた。後に袁術が袁紹を頼って河北に落ち延びようとした際に劉備軍の攻撃を受け、この際に張飛と一騎討ちをしてあっさりと討たれた。関羽と互角の勝負をしているのに張飛にはあっさりと討たれるなど、物語とはいえ矛盾している扱いになっている。