米姫 (山内盛豊の娘)
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米姫(よねひめ、? - 慶長14年10月17日(1609年11月13日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。山内一豊の姉か妹[1]。
略歴[編集]
父は山内盛豊で次女。一豊の姉とする説が有力である。通称は深草殿。法名は覚性院。斎藤道三の弟に当たる長井利直に嫁いだという[1]。
夫の死後は、江戸幕府の旗本で2000石を食んでいた松田政行と再婚した。政行は京都所司代の補佐役を務めて京都の深草に住んだことから、彼女は深草殿と呼ばれたという[1]。
一豊の死から4年後の慶長14年(1609年)10月17日に死去し、妙伝寺に埋葬された[1]。