程 銀(てい ぎん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。涼州の小軍閥の一人[1]。
河東郡の出身[1]。194年から195年にかけて1000戸の部落を領有していた関中の軍閥である[1]。211年に馬超・韓遂と共に曹操に対して反乱を起こしたが、敗れて侯選と共に漢中に逃亡する[1]。215年に漢中の張魯が曹操に降伏すると同じく曹操に帰順して現職の官位をそのまま保障された[1]。
『三国志演義』では韓遂の手下八部の一人とされ、馬超らと長安を陥落させるのに貢献したが、曹操との戦いで張横と共に戦死した。