秦宜禄
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秦 宜禄(しん ぎろく、? - 199年)は、中国の後漢末期の武将[1]。子に秦朗。
生涯[編集]
雲中郡の出身[1]。最初は呂布に仕えて袁術への使者を務めるが、この際に袁術に気に入られてか後漢王朝に連なる一族の娘と結婚した[1]。秦宜禄の前妻・杜氏は呂布の本拠である下邳城におり、ここが曹操軍に包囲された際に当時曹操に協力していた関羽が杜氏を自分の妻として娶りたいと何度も願い出て、曹操もそれを許したが杜氏が美人だったので自分の側妾にしてしまったという[1]。秦宜禄は曹操に帰順し、県長に任命されるが199年に劉備が曹操から離反した際、張飛から「前妻を奪った男に仕えるのか」と言われたため劉備に降伏した[1]。しかしすぐにこの降伏を後悔し、それを知った張飛により殺された[1]。
『三国志演義』には登場しない。