福田和也

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福田和也(ふくだ かずや、1961年10月9日ー )は、文藝評論家、フランス文学者、慶應義塾大学名誉教授。

人物[編集]

東京の裕福な実業家の家に生まれる。慶應義塾高等学校から慶大文学部仏文科へ進み、同大学院修士課程修了。博士課程へ進学できなかったため、家業を手伝いながら、修士論文で扱った対ナチス協力のフランス作家(コラボラトゥール)の叢書「もう一つのフランス」の国書刊行会からの刊行に参加し、彼らを扱った修士論文を『奇妙な廃墟』として刊行する(1989年)。同書が江藤淳の目に止まり、『諸君!』で「大型新人」として「遙かなる日本ルネサンス」を連載するが、肩書きがなかったため「文藝評論家」と名乗った。以後、江藤の弟子の右翼評論家として活躍するが、その後『新潮』に「日本の家郷」などの「文藝評論」を載せ、それらをまとめた著書『日本の家郷』で1993年三島由紀夫賞を受賞した。

以後も『保田與重郎と昭和の御世』などの右翼的な著作を出し、95年『甘美な人生』で平林たい子文学賞を受賞。『日本人の目玉』などの難解な文藝評論を書き、柄谷行人浅田彰が編集委員を務める『批評空間』の「共同討議」にも参加し、実は左翼だが江藤に見出されたので右翼のふりをしているなどと言われ、のち中川八洋はそのような主旨で『福田和也と<魔>の思想』を出して批判した。

西部邁スガ秀実にも評価され、「江藤淳氏と文学の悪」などの江藤淳批判も書いた。しかし村上春樹を高く評価するなど、江藤との齟齬は目立った(江藤没後には江藤が高く評価していた中上健次を批判した)。自身を「ヒール(悪役)」とプロレスの用語を使って偽悪家ぶっていた。小林よしのりとは、ジョン・ラーベの南京事件についての日記の評価が異なったことから対立し、西部は佐伯啓思を交えた座談会本を上梓してまで福田と小林を和解させようとしたが、結局決裂した。

江藤の世話で慶大環境情報学部の助教授となり、のち教授となる。また石原慎太郎とも親しく、99年に江藤が自殺してからは石原に張り付くようになる。2002年『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞受賞。以後『昭和天皇』のような長期連載を行う一方、坪内祐三柳美里らと雑誌『en-taxi』を創刊し、坪内とは『SPA!』で露悪的な対談の連載を始めたが、のち坪内の死後、ソリが合わなかったと述べている。存命の純文学、エンターテインメント作家の、絶版になっていない小説を評定する『作家の値うち』(2000)も話題になった。島田雅彦とともに日本文藝家協会の理事に就任したこともある。だが江藤と対談本を出した蓮實重彦については、批判する価値もないとボロクソに批判しており、これはおそらく対談を断られたからだろうと言われている。

論客として佐藤優が現れると、福田がカバーしていた領域を佐藤が奪う結果となり、次第に目立たなくなるが、2010年代に浮気をして妻と別れるという事件があり、それまで暴飲暴食をしていたことから体を壊したらしく、2022年には60歳で慶大を辞職した。