柳美里

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柳美里(ゆう みり、1968年6月22日- )は、作家・劇作家。

人物[編集]

在日韓国人二世。実業家の父のもと、横浜に生まれる。横浜共立学園高校を中退し、東由多加の劇団「東京キッドブラザース」に加わる。1987年、劇団「青春五月党」を旗揚げ、翌年自身も劇作家デビュー。93年「魚の祭」で岸田国士戯曲賞受賞。1994年には最初の小説『石に泳ぐ魚』を『新潮』に発表するが、作中で描かれた同年輩の韓国人陶芸家から、顔の腫瘍を醜く描写されたというので民事提訴される。95年「フルハウス」、「もやし」で二度芥川賞候補となるが、選考委員の大江健三郎から「人間のとらえ方にいびつなものがある」と評される。『フルハウス』で泉鏡花文学賞野間文芸新人賞受賞。96年「家族シネマ」で芥川賞受賞。99年、横浜での暮らしをもとにした『ゴールドラッシュ』で木山捷平文学賞を受賞。

スガ秀実は初期の柳に文壇バーで会って、「(美人だから)ヌード写真集でも出せばいいんじゃないか」と暴言を吐き、平手打ちされている。また当時柳のサイン会に、在日朝鮮人を敵視する者から会場を爆破するという脅迫電話が入って中止する事件が起きたが、桜井よしこの講演への妨害と帳消しにできると「朝日新聞」が思ったという主旨で小林よしのりから攻撃されるなど、当時の柳はやたらと攻撃されていた。呉智英も「柳」は朝鮮語では「ゆ」のはずだと、つまらんことにいちゃもんをつけていた。

裁判のほうは相手方弁護士に梓沢和幸がつき、大江健三郎も相手方証人となり柳に不利だった。高井有一島田雅彦福田和也らは柳を応援し署名もしたが、柳は書き直しによる和解を拒否し、最高裁で敗訴した。だがこれは「隠されていない事実についてのプライバシー侵害」を理由とした極めて異例な判決であった。柳は途中経過を文章で報告したがそれも名誉毀損として追加で提訴されていた。柳は最高裁敗訴に際して「慚愧の念に堪えません」と記者会見で発言したが、これは誤用ではなく、今後私小説を書く人間が不利になるから、という意味だった。

引き続き、柳は妻のいる男性の子供を妊娠し、そのかたわら、かつての恋人であった東由多加ががんに罹り、アメリカで治療を受けさせるなど柳は数千万円のカネを出して献身的に治療にあたったが東は死去した。柳はこの時のことを『命』四部作として小説化し、ベストセラーとなったが、福田和也は、文学をワイドショー化したと批判した。また「朝日新聞」に連載された、祖父のことを描いた「8月の果て」は、当初の予定を大幅に超えたため「朝日」では連載を打ち切り、続きは『新潮』2004年に掲載されて刊行された。

『石に泳ぐ魚』は、新潮社から削除版が刊行されたが、売れ行きは芳しくなく、2010年ころ、新潮社では今後柳の著書を刊行しないと決定した。そのため柳は河出書房新社の『文藝』の編集長に手紙を書き、小説を『文藝』に載せて貰うようになった(「柳美里不幸全記録」)。

『JR上野駅公園口』の英訳が、2020年に全米図書賞を受賞し、新潮社からは『8月の果て』の文庫版が復刊された。岸田国士戯曲賞の選考委員にもなったが、他人の作品を批評し裁断する立場が嫌だというので二度で自ら降りている。