福島正長

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福島 正長
ふくしま まさなが
別名 八助・八介
性別 男性
時代 安土桃山時代から江戸時代前期
生年月日 慶長元年(1596年
死没日 慶長13年(1608年3月
肩書き 福島氏世子
国籍 日本国旗.png日本
父:福島正則
家族構成 正長忠勝正利

福島 正長(ふくしま まさなが)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士安芸広島藩主・福島正則長男世子だったが早世した[1]

略歴[編集]

福島正則の長男。正則が36歳とそこそこ年をとってから生まれた長男で、正則はそのため養子正之を迎えていたが、自らの息子を跡継ぎにしたくなったのか慶長6年(1601年)12月以降になって廃嫡した。代わって嫡子としたのが正長だったという。羽柴姓を名乗っており、一次史料からは少なくとも慶長9年(1604年)1月からは嫡子として活動しており、発給文書においては「羽柴八助正長」と署名している。ただ、通称の八助を名乗っていることから、恐らく無位無官の存在だったと推定される[1]

慶長13年(1608年)3月に13歳で夭折した。そのため、正則は後継者に正長のすぐ下の弟である忠勝(忠清)を立てた[1]

Wikipediaの福島正則の記事にある子の欄には「正友」とされているが、これは誤りであり、Wikipediaの信頼性の無さをよく物語る好例となっている。

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c 黒田「羽柴を名乗った人々」P115

参考文献[編集]