福島正長
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福島 正長 ふくしま まさなが | |||||||||||||||||||
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福島 正長(ふくしま まさなが)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士。安芸広島藩主・福島正則の長男で世子だったが早世した[1]。
略歴[編集]
福島正則の長男。正則が36歳とそこそこ年をとってから生まれた長男で、正則はそのため養子に正之を迎えていたが、自らの息子を跡継ぎにしたくなったのか慶長6年(1601年)12月以降になって廃嫡した。代わって嫡子としたのが正長だったという。羽柴姓を名乗っており、一次史料からは少なくとも慶長9年(1604年)1月からは嫡子として活動しており、発給文書においては「羽柴八助正長」と署名している。ただ、通称の八助を名乗っていることから、恐らく無位無官の存在だったと推定される[1]。
慶長13年(1608年)3月に13歳で夭折した。そのため、正則は後継者に正長のすぐ下の弟である忠勝(忠清)を立てた[1]。
Wikipediaの福島正則の記事にある子の欄には「正友」とされているが、これは誤りであり、Wikipediaの信頼性の無さをよく物語る好例となっている。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 「羽柴を名乗った人々」 黒田基樹。株式会社KADOKAWA。2016年