神谷修平

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

神谷 修平(かみたに しゅうへい、1986年11月19日 - )は、日本政治家京都市会議員(1期目)。地域政党京都党・下京区支部長 [1] 。京都市会・常任委員会では、教育福祉委員会に所属(2020年度)[2]

京都ハンナリーズを支援する京都市会議員連盟 幹事。京都サンガFCを支援する京都市会議員連盟。

経歴[編集]

1986年、兵庫県神戸市に生まれる。

1995年1月17日、小学校2年生の時、阪神・淡路大震災にて被災。自宅が全焼する[3]

甲南中学校・高等学校で青春時代を過ごし、関西学院大学文学部へ入学。大学では、美学・芸術学を専門的に学ぶ。2009年、関西学院大学を卒業後、文化財の修復を行う企業に入社。文化財修復師として活動[3]

2019年4月7日京都市議選に下京区から立候補し、新人ながら4009票を獲得。6人の候補者のうち、2位で初当選する。下京区の候補者の中では最年少の、32歳であった。[4]

人物[編集]

  • 中学高校時代はバスケットボール部に所属していた。これは小学生の時にハマっていたマンガ『スラムダンク』の影響で、中学に入学した暁には、バスケットボール部に入部すると決めていた。[3]
  • 現在でもマンガは好きで、最近ハマったのは『キングダム』。
  • 中学生のときにDragon Ashに出会い、衝撃を受ける。地元関西から武道館まで、ライブのために遠征するほど好きになった。[3]
  • 妻と息子の3人暮らし。[3]

阪神・淡路大震災から受けた影響[編集]

1995年1月17日、阪神・淡路大震災に被災。神戸市内の自宅が全焼し、避難所生活を経験した。

昨日まで当たり前のようにあった目の前の家が瓦礫の山になり、活気あふれる商店街の景色が一瞬にして焼野原に変わった姿をみて、当時小学校2年生の子供ながら、言葉を失うほどのショックを受けた。

その時の経験から「一度失われたものは、もう戻ってこない」ということを痛感し、日々の些細な出来事やあらゆる人・物事を大切にすること、感謝の気持ちを持つことの大切さを知る。

この時の気持ちが、文化財の修復という仕事を選び、現在の京都の文化や伝統を未来に遺したいという想いに繋がっていった。[3][5]

脚注[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]