石山退去録

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石山退去録(いしやまたいきょろく)とは、石山戦争に関する史料である。

概要[編集]

著者・成立年代[編集]

著者も成立年代も不明である。奥書には江戸時代後期の享和2年(1802年)夏5月中旬の記述があることから、江戸時代後期の後代作品と考えられる。内容も江戸時代の軍談的なものである。

内容[編集]

全1巻。石山戦争に関する史料で、内容から石山本願寺側に立って記した記録である。石山戦争は正親町天皇勅命講和顕如が石山を退去して終結しているが、実質的には織田信長の勝利であった。しかし、この著書は信長の勝利を認めず、あくまで勅命に従って紀伊国鷺森に退去した、ということを強調している。

著書は元亀元年(1570年)8月の信長の京都出陣から始まっている。その後、石山戦争の推移を語り、その中で石山方の武将の武勇譚などが語られている。また、「信長軍の損害のみが多い」「天正7年(1579年)6月に信長軍は石山を総攻めして勝利を得られなかった」など、石山方の肩を持つように語られている。

なお、この史料では本能寺の変の真相が語られている。それによると、「石山戦争後に信長は小姓森蘭丸に対して、志賀郡の所領を3年後に与えるという密約をした」とするものである。志賀郡は明智光秀の所領であり、これが光秀謀反の原因になったとしている。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]