理慶尼記(りけいにき)とは、戦国時代の歴史書である。
理慶尼とは、武田信虎の弟・勝沼信友の娘と言われている。つまり武田信玄の従妹である。彼女は勝沼氏が没落した際に出家して勝沼の大善寺に入っていた。
この記録は別名を「武田勝頼滅亡記」(たけだかつよりめつぼうき)というが、その名の通り、天正10年(1582年)2月から織田信長らによる武田征伐が開始されて武田家が滅亡する際の状況を記録したものである。理慶尼は勝頼とその一行が新府城を焼いて逃亡する際、大善寺でもてなした時の記録も存在する。仮名書きの口語調で書かれているが、散文的であり、後世の仮託とする説もある。また、専門家による研究資料として余り用いられておらず、問題点が多い。