王脩
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王 脩(おう しゅう、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代の魏にかけての政治家。字は叔治(しゅくじ)[1]。子は王儀・王忠。孫は王裒。
生涯[編集]
青州北海郡営陵県(現在の山東省昌楽県)の出身[1]。最初は孔融に仕えて主簿となり、後に高密県令となる[1]。孔融が袁譚によって青州を追われると袁紹に仕えて別駕となる[1]。袁紹没後は袁譚に従い、曹操と対立することを諌めたが聞き入れられず、袁譚は滅亡した[1]。しかし袁譚の遺体を弔う事を曹操に願い出て許され、以後は曹操に厚遇されて司金中郎将・魏郡太守となり、魏建国後は大司農・郎中令となった[1]。
『三国志演義』では袁譚の遺体を弔う場面で登場し、以後は登場しない。