王 忠(おう ちゅう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。曹操の家臣。
若い頃は亭長をしており、曹操に仕官した際に中郎将に任命される[1]。199年に劉岱と共に劉備を討伐するために徐州に赴くが敗北している[1]。後に揚武将軍、軽車将軍に任命される[1]。曹丕が五官中郎将の時に王忠と外出したが、芸人に髑髏を取ってこさせて王忠の鞍に着け、かつて人肉を食った事をあざ笑ったという[1]。
『三国志演義』では徐州戦で敗北した上に捕虜となり、劉備から曹操への斡旋を依頼され、曹操は激怒して王忠らを処刑しようとしたが、孔融の取り成しにより官位の剥奪で許された。