瀬尾兵衛太郎
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瀬尾 兵衛太郎 せお ひょうえたろう | |||||||||||||||||||
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瀬尾 兵衛太郎(せお ひょうえたろう)は、鎌倉時代末期のテロリストである。
略歴[編集]
元徳2年(1330年)4月1日、後醍醐天皇の密命を受けて清水寺を参詣中の公家・中原章房を殺害する。後醍醐天皇は再度、鎌倉幕府討幕を計画しており、それを章房に相談したが章房から無謀であるとして諫められたので逆ギレし、また計画の漏洩を恐れて瀬尾を差し向けたという。
章房の遺児・章兼と章信兄弟は瀬尾を必死に捜し、遂に京都の白河において発見し、瀬尾は兄弟によって父の敵として討たれたという。