渥美孫左衛門
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渥美 孫左衛門(あつみ まござえもん、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。石田三成の家臣。
略歴[編集]
石田三成に仕えて慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに参加し、本戦当日の朝に松尾山の小早川秀秋に対する使者として赴き、秀秋の覚悟を促した。しかし、秀秋は裏切りの心があったため、床几に腰をかけて茶を飲みながら、「我等が手先に於ては、治部心遣なき様に、其方心得て申すべし」と無礼な返答をされたという。関ヶ原開戦直前には、宇喜多秀家の陣所に使者として赴いている。関ヶ原を生き延びており、その後も存命して関ヶ原における戦況を近親者らに語り伝えたといわれる[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 安藤「石田三成のすべて」P197