涌谷城
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涌谷城(わくやじょう)とは、現在の宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町に存在した日本の城である。
概要[編集]
安土桃山時代の天正19年(1591年)に伊達政宗の重臣・亘理重宗が入城し、以後の歴代城主は伊達氏の一族である涌谷伊達氏が務めた。北に箟岳丘陵を、南に江合川の清流をめぐらす天然の要害であり、城跡からは大崎平野を眼下に一望することができる。面積は3万6000平方メートル、長さ320メートルの規模を持ち、伊達氏の一族で2万3000石の知行を食むという大名並の威容を誇っていた。現在では本丸詰の門の石垣と角櫓(太鼓堂)がわずかに昔の面影を現在に伝えている。他に伊達宗重を祀った涌谷神社、宗重300年祭を記念して建立された3層の復元天守閣が存在する。天守閣の内部には涌谷町立史料館があり、涌谷伊達氏の寛文年間の資料、長根貝塚、追戸横穴古墳群からの出土品などが展示されている。