海道勝稔
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海道 勝稔(かいどう まさとし、1928年 - )は、マルクス経済学者。
福井市生まれ。東京大学大学院社会科学研究科博士課程修了[1]。大学院で山田盛太郎のゼミに所属[2]。1953年東大大学院自治会初代幹事長[3]。1958年富山大学経済学部助手。富山大学北陸経済研究所所員。のち助教授[4]。1963-64年東京大学社会科学研究所研究員[5]。1969年神奈川大学経済学部教授[6]。
山田盛太郎[7]、宇高基輔の門下生[8]。上原信博、島崎美代子、古川哲、二瓶敏、小林賢齊、保志恂、南克巳、鍋島力也らとともに山田主宰の研究会のメンバーだった[9]。専門は恐慌論[1]。論文に「ツィーシャンクをめぐる国家独占資本主義論」(『経済評論』第9巻第8号、1960年)、「ローザ・ルクセンブルクをめぐる拡大再生産表式についての論争」(『土地制度史学』第7巻第1号、1964年)、「危機論序説――恐慌論体系における恐慌の可能性の意義」(古川哲、南克巳編『帝国主義の研究』日本評論社、1975年)など。
著書[編集]
- 『戦後富山県経済の構造分析』(柴田裕、淡路憲治共著、富山大学北陸経済研究所[北研資料]、1966年)
- 『富山県経済の発展――戦前・戦後の農業生産力の展開を中心として』(柴田裕、淡路憲治共著、ミネルヴァ書房[北陸経済研究所叢書]、1968年)
出典[編集]
- ↑ a b 島恭彦、宇高基輔、大橋隆憲、宇佐美誠次郎編『新マルクス経済学講座 第1巻 マルクス経済学入門』有斐閣、1972年
- ↑ 二瓶敏、矢吹満男、泉武夫「二瓶敏教授に聞く――戦後日本資本主義論争の回顧と展望(PDF)」『専修大学社会科学研究所月報』No.456、2001年6月
- ↑ 東京大学百年史編集委員会編『東京大学百年史 部局史 1』東京大学出版会、1986年
- ↑ 『富山大学経済学部五十年史』富山大学経済学部越嶺会、1978年
- ↑ 東京大学社会科学研究所編『社会科学研究所の30年――年表・座談会・資料』東京大学社会科学研究所、1977年
- ↑ 『神奈川大学五十年小史』神奈川大学、1982年
- ↑ 小林賢齊、保志恂、南克巳、鍋島力也、二瓶剛男編『山田盛太郎著作集 第1巻』岩波書店、1983年、ⅱ頁
- ↑ 古川哲、南克巳編『帝国主義の研究』日本評論社、1975年
- ↑ 吉原泰助「経済学と私(PDF)」『商学論集』第70巻第4号、2002年3月