浅井道忠

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが浅井道忠の項目をおカタく解説しています。

浅井 道忠(あさい みちただ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将水野氏、次いで徳川氏家臣

生涯[編集]

通称は六介・六之助。初名は忠久。

最初は水野信元に仕える。天正10年(1582年)4月、武田征伐を終えて凱旋する途中の織田信長のために、小栗吉忠と共に天竜川船橋を架橋し、信長よりその功績を賞されて禄を与えられている。

信元の死後は水野忠重に仕え、後に徳川家康に仕えた。『当代記』によると、天正15年(1587年)に三河国奉行として「拾二座」という税を課して、庶民を苦しめたと記録されている。