殷 礼(いん れい、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の政治家。字は徳嗣(とくし)[1]。子に殷基。孫に殷巨・殷祐。呉の零陵郡太守。
雲陽(曲阿)の出身[1]。19歳の時に呉県の丞、そして郎中となる[1]。占いに優れ、張温に従って蜀への使者として趣き、蜀の丞相である諸葛亮からその人物を高く評価されたという[1]。