武田左吉

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武田 左吉(たけだ さきち、生没年不詳)は、戦国時代武将織田氏家臣

略歴[編集]

織田信長に仕え、天正6年(1578年)に信長に反逆した荒木村重討伐に参加し、大津長昌と共に摂津国高槻城の在番を担当した。その後、上山城の信長直轄地の代官に任命され、木津に駐留した(『信長公記』)。

天正7年(1579年)12月、信長の命令により林高兵衛長坂助一らと共に石清水八幡宮造営の奉行を兼任した。本能寺の変における動向は不明だが、生き延びているため信長には同行していなかったものと思われ、変後には信長の次男・信雄に仕えた[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. 岡田 1999, p. 268

参考文献[編集]