武宗 (唐)
ナビゲーションに移動
検索に移動
武宗(ぶそう、814年 - 846年[1])は、唐の第18代皇帝(在位:840年 - 846年[1])。姓名は李 炎(り えん)[1]。
生涯[編集]
第15代皇帝・穆宗の5男[1]。7歳のときに頴王に封じられる[1]。840年に兄の文宗が崩御した際、宦官の魚弘志や仇志良らに擁立され、文宗が皇太子にしていた甥の李成美を殺して皇太弟を称し、文宗の棺の前で即位した[1]。
武宗は文宗により排斥されていた李徳裕を長安に召還して宰相に任命し、国政はそれらに任せきっていたが、この時代に敵のウイグルが内部分裂したのをつけこんで討伐を果たす功績も挙げている[1]。また徹底した廃仏政策を推進し、寺院4000を破壊し、26万人に及ぶ僧侶や尼を還俗させた[1](三武一宗の法難)。846年、道術を尊ぶあまりに怪しげな薬を服薬して中毒に陥り、そのまま意識を失って崩御した[1]。享年33。跡を叔父の宣宗が継いだ。