文宗 (唐)
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文宗(ぶんそう、809年 - 840年[1])は、唐の第17代皇帝(在位:826年 - 840年[1])。姓名は李昂(りこう)[1]。
生涯[編集]
第15代皇帝・穆宗の次男[1]。最初は江王に封じられていたが、826年に異母兄の敬宗が宦官の劉克明に暗殺されたため、宦官の王守澄により擁立されて即位する[1]。この頃の唐王朝は宦官の権力が強大化していたため、文宗は宦官勢力を排除しようとしたがかなわなかった[1]。840年に32歳で崩御した。
文宗は自身の皇太子に敬宗の実子である李成美を選んでいたが、宦官の魚弘志や仇士良らは文宗が崩御すると弟の李炎を皇太弟に擁立し、李成美を殺して武宗として即位させた[2]。
文宗は宦官勢力を排除できず「周の赧王・漢の献帝は強臣に制せられたに過ぎないが、朕は家奴(宦官)に制せらる」と涙したと伝わっている[1][2]。
宗室[編集]
后妃[編集]
- 王徳妃
- 楊賢妃