槙原稔
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槙原 稔(まきはら みのる、昭和5年(1930年)1月12日 - 令和2年(2020年)12月13日 )は、日本の実業家。東京府(現・東京都)出身(出生地はイギリス)。三菱商事の社長・会長・特別顧問を歴任した。父・覚は青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男。三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長を務めた。
略歴[編集]
既婚者。東京府出身。
平成4年(1992年)6月に社長に就任すると、バブルによって膨らんだ不良債権の処理を急速に行う。資源価格が低迷して商社に逆風が吹きだすと、早期に財務体質の健全化を図って、後の業績拡大への下地を作り上げた。
三菱の社長のほか、経団連の副会長を務めたりしている。
令和2年(2020年)12月13日午後9時17分、心不全のため自宅で死去した。90歳没。