桟潜
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桟 潜(さん せん、生没年不詳)は、後漢末期から三国時代にかけての魏の武将・政治家。字は彦皇(げんこう)[1]。
生涯[編集]
任城郡の出身[1]。最初は曹操に仕えて県令となる[1]。鄴の留守の長官となった際に当時は王太子であった曹丕が狩猟にふけっていたので強く諌めた[1]。222年に文帝となっていた曹丕が新しい皇后に郭氏を立てようとしたため、当時は中郎になっていた桟潜は上奏文を出して諌めたが聞き入れられなかった[1]。明帝の時代には魏の皇族が藩屏として取り立てられずに排斥されているのを憂慮して上奏文を出して諌めている[1]。後に燕の中尉に任命されるが、病気を理由に就任を断り死去した[1]。
『三国志演義』には登場しない。