桂岩院

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桂岩院(けいがんいん、? - 慶長9年8月17日[1]1604年9月10日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性上杉景勝側室[1]上杉定勝の生母。

生涯[編集]

名は不詳。父は京都公家である大納言四辻公遠[1]四辻家藤原氏北家の支流で元々は室町家を称していたが、足利将軍家を憚って四辻と改姓した[1]。もともと上杉景勝は女性への興味が乏しく、武田信玄の娘である菊姫を正室に迎えていたが子供は無く、他に妾も納めなかったので、50歳近くまで子女が皆無という状況であった[1]家老直江兼続はこのままでは上杉氏が断絶しかねないことを危惧し、景勝に不承不承ながら迎えさせた側室が桂岩院であった[1]

桂岩院は慶長9年(1604年)5月5日に米沢城本丸で一人息子の玉丸を産んでいる[1]。ところが産後の肥立ちが悪く、同年8月17日に死んだ[1]

妾とはいえ世継ぎの生母であり、上級公家の娘であるため、その葬儀は盛大に行なわれた[1]。墓所は米沢の極楽寺で、法名は桂岩院殿月清佳大姉[1]

彼女の死後、景勝は死ぬまで妻妾を迎えなかった[1]。このため景勝の死後、玉丸(定勝)は嫡子として米沢藩の第2代藩主となった。

桂岩院の登場する作品[編集]

  • 漫画
河村恵利『花の君参る 上杉景勝室・菊姫』(秋田書店2009年2月単行本発行。ISBN 4253195865 

※作中における名前は「斎(さい)」。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h i j k 花ヶ前盛明 『上杉景勝のすべて』新人物往来社、1995年、P172