村山たか
村山たか(むらやまたか、1809年 - 1876年9月30日)は江戸時代の祇園の芸妓。安政の大獄の頃は、京都で井伊直弼の密偵として、反幕府勢力の情報収集活動を行っていた。村山加寿江(むらやまかずえ)ともいう。
概要[編集]
若いころは美貌を生かして祇園の芸妓となり、井伊直亮と井伊直弼の愛妾となった。安政の大獄では井伊直弼の京都での工作員として長野主膳とともに活動した。舟橋聖一の小説『花の生涯』で波乱万丈の生涯を送ったヒロインとして知られる。昭和38年のNHK大河ドラマ「花の生涯」では村山たかを淡島千景が演じている。舞台では岡田茉莉子、水谷良重、佐久間良子が演じている。
出生から出産まで[編集]
父は多賀社尊勝院の院主、母は同社般若院住職の妹(彦根の芸妓ともいう)であった。滋賀県犬山郡の藤山くにの家に1809年 生まれる。同社寺侍村山氏の養女となり、伯父に育てられる。文政9年(1826年)、18歳の時、井伊直亮の侍女となり、愛妾となる。文政12年(1829年)、21歳で祇園の芸妓となり、可寿江と称した。美貌で才気があったため人気があったという。
天保2年(1831年)、金閣寺住職に請われて隠し妻となり、金閣寺の世話になる。同寺寺侍多田一郎時員の妻となり、天保4年(1833年)、多田帯刀を産み、常太郎と名付けた。しかし出産と同時に母子ともども離縁された。
彦根藩との関係[編集]
1835年(天保6年)彦根に移り、三味線師匠をしていた。1839年(天保10年)、31歳の頃、部屋住み時代の井伊直弼の寵を受けた。 1841年(天保12年)、長野主膳と知り合う。1847年(弘化4年)、39歳の時弘尚館を開いていた長野主膳に入門する。長野主膳とも深い関係になったという説がある。
安政の大獄との関わり[編集]
1858年(安政5年)、京都において女隠密として活躍する。安政の大獄が行われる。 1862年(文久2年)、58歳のとき天誅組(長州・土佐藩士)に捕縛され、三条鴨川で生き晒しとなる。生き晒しは、さらされた人の悪行を書いた立て札とともに柱にくくりつけられ、三日三晩、野ざらしにされるものである。その間は通りかかった人は、誰でも石などを投げつけてもかまわないとされていた。ほとんどのものは助からないが、たかの体力と精神力に加え美貌があったため、投石があまりなかったといわれる。3日後、助けられて尼となる。息子の多田帯刀は母親の身代わりとして土佐藩士・長州藩士によって斬殺された。
晩年[編集]
1862年(文久2年)、金福寺に入り妙寿と改める。慶應3年(1867年)、弁天堂を建てる。明治9年(1876年)、金福寺で没する。68歳。墓は金福寺の本寺の円光寺にある。
井伊直弼の恋文[編集]
井伊直弼の村山たか宛の1842年(天保13年)自筆書状が井伊美術館で発見されている[1]。直弼の女性にかかわる恋文である。
金福寺の村山たかの遺品に、井伊直弼の和歌の色紙が残されている。たか女は34歳のときこの色紙を直弼から受け取り、一生大事に手元に保管していたと言われる。
柴の戸の しばしと云いてもろともに いざ語らはん埋火のもと 井伊直弼