村上義昌
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村上 義昌 むらかみ よしまさ | |||||||||||||||||||||||
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村上 義昌(むらかみ よしまさ)は、江戸時代初期の武将。山内氏の家臣。
生涯[編集]
土佐国土佐山北村(現在の高知県香我美町)出身で、父は長宗我部氏の旧臣の加兵衛[1]。
土佐藩主の山内家に仕え、元和7年(1621年)から山内忠義の命を受けて翌年にかけて土佐藩内における新田検地を担当する奉行を務め、この検地は「村上改」と称された。この検地により藩財政は潤ったが、そのあまりの厳格さから批判が噴出し、一時は義昌が土佐国外に逃亡することが噂されるほどだったという。寛永9年(1632年)3月3日に死去し、故郷には義昌を祀る村上神社が建立された[1]。