李韜
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李 韜(り とう、? - 254年)は、中国の三国時代の魏の武将[1][2]。祖父は衛尉の李義[1]。父は李豊。兄弟姉妹に李婉(賈充の前妻)。
生涯[編集]
父が中書令の要職にあり、李韜も明帝の娘(斉長公主)を娶ったため[1]、準皇族に列した。列侯に封じられ、給事中の官位にあったが、254年の司馬師排斥計画に父と共に参画し、計画が露見して捕らえられる[2]。父は夏侯玄らと共に司馬師によって処刑されたが、李韜のみは明帝の娘婿である事が考慮されて獄中で自殺する事が許されたという[2]。また、李韜と斉長公主の間に生まれた子供も明帝の外孫である事から処刑対象から外されている。