斉長公主(せいちょうこうしゅ、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の皇族・公主のことである[1][2]。父は魏の第2代皇帝の明帝[2]。魏の中書令である李豊の子・李韜に嫁いだ[2]。
没年は不明であるが、254年に司馬師の排斥に失敗した夫の李韜は彼女の婿であるという理由から自殺を許され、彼女と李韜の間の子供は司馬師から処刑対象にされていない。なお、彼女は254年以前に死去していたものと見られている。
- ↑ 小出『三国志武将事典』P246
- ↑ a b c 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、191頁
参考文献[編集]