李譔
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李 譔(り せん、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の学者・政治家。字は欽仲(きんちゅう)[1]。父は李仁。
生涯[編集]
益州梓潼郡涪県の出身[1]。最初は益州の書佐と尚書令史を務めた[1]。238年に劉禅が長男の劉璿を皇太子に立てると、太子中庶子・太子僕・中散大夫・右中郎将に任命し、皇太子の近侍を命じられた[1]。幅広い知識を持っていたので劉璿から重用されたが、軽薄でふざけるのが好きだったために世間では重く見られなかった[1]。『易』や『尚書』などの古文の著述を多く残し、景耀年間(258年から263年)に死去したという[1]。
『三国志演義』では第91回で諸葛亮に任命された博士として名前のみ登場する[1]。