李孚

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李 孚(り ふ、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家武将子憲(しけん)[1]。元の姓は馮と言い、旧名は馮 孚(ふう ふ)と言う[1]馮耽の祖父。

生涯[編集]

冀州鉅鹿郡の出身[1]。最初は袁尚に仕え、204年曹操の大軍に包囲された際、鄴に籠城している審配に援軍の到着を知らせるため、たった3人で曹操軍の都督に化けて包囲網を突破して鄴に入城し、守将の審配を助けた[1]。審配に籠城で糧食を節約するために老人と子供を曹操軍に降伏させるように勧め、それに審配が応じた際に鄴の命運を呼んでいた李孚も城から脱出し、曹操はその事を後に知ってその機転を大いに褒め笑ったという[1]

袁尚が北に敗走すると、李孚は袁譚に仕えたが間もなく袁譚も曹操の前に敗死し、李孚は曹操に降伏した[1]。後に讒言で左遷されるが、才能を認められて70歳の高齢で司隷校尉に昇進した[1]。後に陽平郡太守を在任中に死亡した。

70歳の高齢になっても精密さや決断力、策略は衰えなかったと伝わる。

三国志演義』では鄴への入城と脱出の際のみ登場する[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h 小出『三国志武将事典』P111

参考文献[編集]