朱 光(しゅ こう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将・政治家。曹操の家臣。
曹操の命令で廬江郡太守に任命され、皖城に本拠を置いて水田を開墾して揚州の孫権と対峙する[1]。214年に呂蒙を中心にした孫権軍により皖城を攻撃されると、孫権配下の猛将・甘寧に城壁をよじ登られて朱光は捕えられた[1]。これにより皖城は落城し、後に孫権が曹操に臣下の礼をとった際に219年に至って曹操の下に身柄を返還された[1]。以降の消息は不明[1]。
『三国志演義』でも史実通り廬江太守として登場し、孫権の侵攻に激しく抵抗するも甘寧に討ち取られている[1]。